茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 茶道サークルです。

2013年 1月 19日 のお稽古記録

管理人は一時、日本の国宝と言われているモノを片っ端から目に焼き付けてからでなければ、この世とオサラバ出来ないと、決めていた頃がありました。
でも場所が離れているモノについては、そう簡単にお目にかかることは難しい…。ですから今は、極力、そんな悪趣味なジンクスから遠ざかる心の線引きをしています。
のっけから、人様には面白くもない個人的な話題ですみません。

この画像の金襴手は、お約束のモティーフ「片輪車」です。
初めて「片輪車」の由来を知ったのは、国立博物館の国宝「片輪車蒔絵螺鈿手箱」の解説を読んだ時です。
この「片輪車」は、割れや軋みを防止するため、川に牛車の車輪を漬け込んでいる情景を柄にしたものなのですね。
黒い車輪が、清らかな川の流れの中に沈み、水の流れの糸を綾に織り上げる様は、くだくだ説明するまでもなく一幅の絵です。
今回は、そんな「片輪車」の皆具でお稽古していただきました。

軸:「青松寿色多」 先々代家元 書

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長板に皆具が、飾られています。
一般的によくお稽古をするお点前は、侘び茶に近いものです。
お茶の儀礼が始まったとされる室町時代の点て方からすると、お稽古でよくするお点前は、ずいぶんくだけたカジュアルなものです。村田珠光から始まり千利休で完成された侘び茶は、16世紀にはどれだけ突拍子もない型破りなモノであったか、想像してみてください。
長板に皆具を飾るお点前は、格式ばったお点前と侘び茶との中間、それよりやや侘び茶よりのものです。
このような色絵のある道具を使うのは、仁清などが出た江戸時代以降でして、利休の時代であったら、とんでもない代物とされた筈です。(利休の時代にはこんな色絵を焼く技術はまだなかったですし、利休の好みでもないかも・・・・・・いや案外、利休は柔軟に好んだかも)
時の流れは、不思議なものです。

横から、長板 皆具を見ました。
柄杓の立ち具合、その角度とか、気位の高い貴婦人が「あら、影山伯爵の奥様」と頭を下げているようでしょ?



茶巾の置く場所を忘れないように、画像に残しました。茶杓の櫂先の先端(「露」と言います)は、板にかからないように、茶入の蓋に置きます。




火箸の先端の飾りです。鴛鴦(おしどり)です。向かって左がメス、右がオス。鴛がオスで、鴦がメスなので、文字と逆順番に並べました。ちなみに鳳凰は、鳳がオスで、凰がメスです。左右には陰陽があるので、左右のオスメス(男女)のむつかしい議論もあるでしょうが、ここはこの順番で。



 杉本貞光 信楽焼(しがらきやき)。素敵な香合。これも先生の香合です。先生は巳歳ということで、、、、と言うことは、先生は年男!
管理人は、伊賀焼が好きで、最初、この香合を伊賀かと思いました。惚れ惚れする香合です。



お菓子は捻梅(ねじうめ)。



お茶が点ちました。飲む前に、「これを皆さんと頂きますよ」と拝見してから、吸い廻しをします。



お稽古の後、先生と二人でしんみり四方山話を。
四方山話は料理の話となりました。
三千家が使う「仕出し屋」の話を先生からしていただきました。

表千家 柿傳(新宿)  裏千家 大橋茶寮(神谷町)  武者小路千家 三友居(高輪)。
管理人は、柿傳しか行っていません。味は、・・・・でした。先生は、全部制覇されていらっしゃるそうで、味は・・・・だそうです。
本当に、美味しい料理屋は、ないよねぇ〜、の話をしていたなかで、先生は「築地たむら」を、管理人は「京都 瓢亭」を、一推しとしました。
今度、みんなで「築地たむら」に行きましょう。その後、新橋で一暴れしますかぁ!!!
しかし今回の記録は、文字だらけになり、反省です。