茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 茶道サークルです。

2013年 9月 7日のお稽古の記録

『茶入』は、中国で作られていた「小さな陶器の壷」で、油や薬や香辛料などの入れ物でした。
それ以上の器ではありません。

この「小さな陶器の壷」が日本に輸出されると、「オっ!抹茶の粉を入れるのに、ちょうど、エエ大きさやぁ」
と、抹茶入れ(いわゆる『茶入』)になったのです。

これは、近くの土産物屋の『七味入れ』です。




これは、大名物の『初花肩衝茶入』です。

重要文化財です。



この2つの陶器に、驚くほどの差があるでしょうか?

土に釉薬のかかった、同じ陶器といわれているものです。
この2つの陶器に劇的な『美』の差異がありますか?
(さすがに、そりゃあ、違いますが。。。。)

朝鮮の古い茶碗は、朝鮮の普通の人が、普段使いの器を作っていて、偶然の産物として、チョイト味あるものが出来。

その中でデキの悪いものは捨てられ、味わいのあるいいものは、何となく残り。

更に時代が経って面白味がなくなったものは忘れ去られ、時代が経っても面白味があるものだけは大切にされ。
更に時代が経って・・・・・・・、と繰り返されて今に伝わっています。

スタートから、チョイト味があったので、景色にドラマがあります。

しかし『茶入』の景色に、殊更語るに値するドラマが、管理人には、どうしても見えてきません。

しかし、しかし、しかしです。この『茶入』と言うヤツには、曰くつきのドラマがギッシリ詰まっているのです。

この意味のないただの陶器を巡って、過去の日本人が、それも偉人と言われた人たちが、
何をしてきたのか、その故事伝来こそが『茶入』の価値だと、管理人は思うのです。

でっ、ここへ、昨日ある陶芸作家によって焼きあがった『茶入』があったとします。
何の故事伝来もない『茶入』です。
しかし、何となく高い値段が付きます。
この何となくが大事でして、
なんとなく高くなったのも、
なんとなく高くても納得するのも、
今に続く『茶入』への集団催眠なのですよね。
多分。。。。きっと。

花:八重の槿・美容柳。



薄茶(平点前) y1 s1 y2 k1 k3 a1 y3 
濃茶 h1 正客 s1 詰 y1


棚は糸巻棚(いとまきだな)。




花丸中棗。塗師:幸悦。



重陽節句』にちなみ、菊の絵の茶碗。先生のお茶碗です。
先代家元の自画です。膳所焼。

高台内の兎巾に、花押があります。



薄茶のお菓子は、長野利久堂の『あんず姫』。



主菓子は、石川小松市の松葉屋、『月よみ山路』。