茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 茶道サークルです。

2013年 12月 21日のお稽古の記録

いよいよ、23日は、『お茶会』ですね。
お客様に、感動していただけるような時間が作りたいですね。

話はゴロット、変わりますが、
過去の代表的なお茶関連の映画は、熊井啓の『本覚坊遺文』と、勅使河原宏の『利休』ですよね。

熊井啓の『本覚坊遺文』は、山上宗二・利休・織部の死の謎解きストーリーです。
井上靖らしい引っ掛け話が原作ですが、映画にすると、謎解きの無理が目立ち過ぎました。
演出も(生意気言いますが)稚拙でした。

勅使河原宏の『利休』は、お花の○○流のPVのようでした。

個人的には2つとも、大不満足の作品なのです。
(管理人は、映画研究会にいたので、映画には厳しいです)
が、敢えてどちらがいいかと問われれば、『本覚坊遺文』の方が、まだマシです。

さて、海老蔵の『利休にたずねよ』が公開されましたね。海老蔵は、いい役者です。

映画は、まだ、観ていません。
まだ観ていませんが、原作は発表時に読んでいます。

恋愛が絡むストーリーであったなぁ、と記憶しています。
あの話が映画になると、もっともっと安っぽくなるのだろうなぁ。
そう想像すると、観たいような観たくないような、そんな感じです。

映画を、ロマンスやヒューマニズムで盛り上がらせ、収束させる手法は、安直です。
誰でも、身近に手が届き、体験(擬似含む)する、恋愛と博愛。
心の動揺と衝動は、きっちりあって、誰もが容易に、想像できるもの。
ですから共感しやすく、得意気顔をさせ、満足させる手法です。

しかし、こういった安直なテーマ(手法)が、利休の数寄の本質を曇らせるのですよね。

『美』に取りつかれた人間の、暗さ・屈折・劣等感、嫉妬・執拗な復讐心・陰生植物の芽吹きに似た勝利の陶酔。
そして何よりも創造の原動力である、底なしの変態性。(トーマス・マンは、こういった芸術家の本質を描くのが上手です)
限界のない変態ゆえに目や耳に入ってくる、癖のある色、形、間、そして音。

このデモニッシュな心の動揺と、その衝動こそ、芸術家の本質。
これは生来のもの。
誰もが体験できると言った代物ではないのです。(管理人は凡人だから体験は無理)
『美』に取りつかれた人間が主人公なら、この心の作用を映画にしないと、面白くないのです。

商業的には失敗するかなぁ。いや、主人公が利休なら、案外、成功するかも。
とにかく茶道関係の映画は、観客に媚びないで欲しいです。



花:賀茂本阿弥




薄茶 y1 k1 k2 k3
濃茶 y2 正客   詰



干菓子:いずみや製



主菓子:おきな屋『紅玉天 ベニギョクテン』