映画『利休にたずねよ』を観ました。
案外、よかったです。
時代考証の甘さや、利休時代にない茶道具があったら、鬼の首を取ったように批判しようと、意地悪く構えていたのですが、残念です。
意地の悪いクソオカマでしょぅ?
天井に吊った桜も、染井吉野ではありませんでした。(花びらが茶碗に落ちるまで、天井の桜に気がつかない馬鹿もいないだろうと、稚拙な演出に辟易しましたが・・・・・・)
使う棚の時代設定も、しっかりしていました。
ふむふむ、ちゃんと研究して映画製作しています。
お点前は、表とも、裏とも、官休庵(薄器の開け方は、官休庵ぽっかったです)とも、そのどれとも言い切れないように、配慮してありました。
色恋沙汰は、以外やイガイ、この映画ではメイン主題では、なかったようです。
原作は、色恋沙汰のテーマが濃厚だったのですがねぇ。
管理人は、色恋沙汰の物語が、大嫌いなのです。・・・・・・可哀想なオカマでしょぅ?
欲を言えば、下の5つ、この5つが徹底されていれば、もっと、見ごたえある映画だったのになぁ〜、と思いました。
① 使った道具が安っぽい。
おやぁ!って言う茶碗も2つほどあったのですが、安物(特に水指がいただけなかった)引きずられ て、全体的に二流の映画に成り下がっていました。映画の道具って、本当に大切です。管理人は、大 学時代に映画研究会にいたので、映画にはとっても、厳しいです。何とか賞は、とった映画らしいですがね。
②照明のトーンは、もう少し暗いほうがよかったのかなぁ〜。
③桃山時代の上流女性の化粧は、室町時代などに比べると、ややナチュラルになったのは事実ですが、あまりに現代的過ぎ。最低でも、眉は落として、鉄漿はつけいとねぇ〜。
③秀吉などの高級武将も、(北野の大茶会のような)ハレの場では、化粧をするべきかなぁ〜。化粧はともかく、秀吉をやった、大森南朋(おおもり なお)は、駄目だね。この人が出るたびに、 映画のリズムが狂うように見えた。下手なうえに、力み方が伝わり、空気が読めていないと言うか、 この人では秀吉は無理って感じでした。
同じ秀吉でも、勅使河原宏の『利休』の山崎努は、流石だった、よなぁ〜。
④織田信長やその家臣(秀吉も)は、もっともっと尾張訛りを出すべきかなぁ〜。
※ 昔、日本はいくつかの国に分かれていました。国ですよ、国。
山城国、尾張国、備前国などです。
幕末、徳川慶喜は、薩摩や長州の武士の言葉が全く通じず、困り果てたと、ある記録で読んだことがあります。
ましてや戦国時代。
京都の人は、尾張の武将の言葉が、よく理解できなかったと思いますよぉ。
理解できない以前に、田舎臭くて、面白くて、陰ではゲラゲラものだったと思います。
信長は、明智光秀が朗々と操る武家言葉に、もの凄い憧れと劣等感を持っていたと言う説もあります。
ですから、本能寺の変の信長、つまり死ぬ間際の信長から、尾張訛りは抜けていなかったと思いますよ。
「で、あるか」は、尾張訛りを誤魔化すための言い方だったのでは?と思っています。
信長は、カッコ良く描かれる傾向があってねぇ〜〜〜、何だかねぇ、と思う管理人です。
晩年の秀吉や寧々は、尾張訛りと上流の言葉を、使い分けていたでしょうがね。多分。
『利休にたずねよ』は、熊井啓の『本覚坊遺文』や勅使河原宏の『利休』よりも、よかったと言うのが管理人の率直な感想です。
ただですね。
『利休にたずねよ』のあと、三谷幸喜の『清洲会議』を観てしまったのですよ。
圧倒的に『清洲会議』の方がよかったのですよね。
お陰で、『利休にたずねよ』の感動は、全く薄れてしまったのですよ。
映画は、一日一本でなければ、疲れるだけでなく、感動が薄れますね。
薄茶 k1 k3 n1 h1
濃茶 s1 正客h1 詰k1
花:大神楽椿とボケ。
s1さんが、お持ちになった、相馬焼の茶碗。
干支の馬が、描かれています。
お蔭で、今年も元気に走れそうです。
丸卓(まるじょく)に、備前の水指。
馬上杯(ばじょうはい」)茶碗に、棗の置き合わせ。
馬上杯茶碗は、中村与平の作品。
朱塗りの中棗は、中出松峰の作品。
若松に鶴。おめでたい、蒔絵です。
薄茶のお菓子は、シャン・ドワゾーのメレンゲ。
木苺と、パッションフルーツ。
いろいろ、お土産もいただきました。
みなさん、帰省先の名産です。
k1 k3さん、ありがとうございました。
画像の津軽塗の板に見えるものは、チョコレートなんですよ。