茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 茶道サークルです。

2014年 8月 2日のお稽古の記録


床には、金魚の絵の短冊。
金魚が、鑑賞用として、あのように多彩な形状を持つようになったのは、鎖国した江戸時代の、暇になった日本人のおかげです。




そして、k5さんより戴いた、カードの朝顔を、花に見立てました。
プルーストは、水中花を見て日本人の感性に、驚愕しましたが、なるほどとうなずける、この朝顔です。ところで、朝顔が、いつ日本に伝わったかというと、奈良時代末から平安時代初頭。
ですから、万葉集の憶良の有名な秋の七草朝顔は、桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)、昼顔(ひるがお)、ではないかと、言われています。
朝顔が、あのように多彩な園芸種を持ったのは、鎖国した江戸時代に、粋や滑稽を重んじる日本人がいたお蔭です。



非勝手薄茶: k1 k5
非勝手濃茶: h1  正客・先生  詰・h1


昨日、大河ドラマ『軍師 黒田官兵衛』で、利休の弟子となった、道糞(どうふん)と名乗る荒木村重が出てきてました。
荒木村重が、利休の弟子となり利休十哲と呼ばれたのは事実です。
それはさておき、道糞と名乗った荒木村重が、「宗易(利休のことです)についてお茶を学べば、迷いがなくなると思い・・・・・・」みたいな、月並な台詞を口にするのですよね。
こう言うシーンに、管理人は恥ずかしさを感じるのですよね。
確かに利休は、床に禅宗僧侶の墨蹟を飾り、数寄(何度も記載しますが戦国時代『茶道』なんていう恥ずかしい言葉はありませんでした)に、神秘性・精神性を演出しました。
そして利休は、何か悟ったような顔をしていたようにも思えます。
現在の、お偉いといわれる人々のようにです。
でも、それは、今も昔も、仮面劇でした。
とにかく利休は、なかなかの役者です。
確かに、切腹しました。
そしてその切腹が、利休神話を完成させました。
でも、当時の切腹は現在の我々の感覚とは違っています。
また利休は、気持ち悪いほど、ナルシストであったはずです。
切腹をどのようにとらえていたか、気持ちの悪い想像も、膨らみます。
何度も記載しますが、利休は役者でした。
それもとびきり、美的センスがいい役者でした。

話がそれたようです。お茶が『道』となり、精神修行のような色調が帯びてくるのは、鎖国した長閑な江戸時代の、暇人がそんなことを、考え付いてからのことです。
あるいは、家元制度で金儲けしようとした山師が、思いついてからのことです。

ですから、戦国武将である荒木村重の台詞は、安っぽい演出の、実に実に典型です。

管理人は、迷いについて徹底的に考えたことがります。
お茶なんか、まったく関係のないところで。

お茶は、美しい趣味の世界です。
迷いをなくす最良の手段を考えたり確立する場所にはなりません。
そう、管理人には思えます。

ただし、お茶を、生業にした人には、迷いと戦う場所となるでしょうが。
趣味で嗜むぐらいでは、そんな渡世を考える場所と時間にはなりません。
どうでしょうか?

迷い憂い悩み、そして克服していく場所は、職場などの生活の肝心要の場所です。
生きるか死ぬかが、かかった場所でなければ、無理です。

美しい趣味の『お茶』の世界は、むしろそのような迷い憂い悩みから、逃げる場所ではないのかと、そう管理人は思えてならないのです。



夏の平茶碗には、背の高い細長い、長棗が似合います。





高崎 芳房堂の『ふき糖』、『珈琲煎餅』。







京都 亀廣堂の『したたり』。琥珀羹です。