茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 茶道サークルです。

2014年 9月15日のお稽古の記録


花:彼岸花秋明菊。y2さんに入れていただきました。
難しい取り合わせでした。



お点前は、本勝手に戻りました。
烏帽子棚です。水指は、備前




理平の蓋置は、明治神宮献茶記念のものです。
13代 有隣斎の好みです。


唐戸面茶器。輪島の、大多尾重則作。
虫篭蒔絵。







武蔵野の茶碗は、あかね窯。






いずみやの菊の打ち物。




いずみやの主菓子。着せ綿。




最近の、お茶について感慨を、一節うなります。
利休が死んでから100年後に、利休への懐古趣味が沸き起こりました。
元禄時代の上方を中心にしてです。
ところで、元禄時代は、江戸時代の、初期の終わり頃の時代です。
このころの(元禄)文化の中心は、京大阪の上方です。
江戸はまだ、文化の未発達な都市でした。
江戸が文化の中心になるのは、
町民文化が花開く江戸時代の中盤以降(文化文政期がピーク)です。

話は戻ります。
利休懐古趣味の一翼を担ったのが、福岡藩の家老、立花実山(たちばなじつざん)です。
この人は、『お家騒動』もからみ、最終的には黒田の殿様によって殺害されます。

管理人は、この立花実山は、本来のお茶の楽しみ方を大きく歪めた山師だと思っています。
管理人は、です。
詳しくは、ウィキペディアなどで確認してみてください。

立花実山は、ありもしないことを、
マコトしやかに記載した『南方録』と言う詐欺本の作者です。
彼は、『南方録』の中で、
中国の陰陽五行説の影響を受けた建築や作庭、
工芸などの決まりごとと、お茶の道具の配置とを、
ムリクリに結びつけ、
そこに哲理的な意味があるよううに、記載したのです。

推察→実験→検証といった、自然科学的な裏づけもないままです。

更には、その作為的で複雑怪奇な規定を、
利休からの伝えごととして、記載しました。

相当、博学な男であったと、思います。
博学だからこそ、マコトしやかに記載できたのです。

管理人が思うお茶の悲劇は、
その『南方録』の内容を、「これは使えるなぁ」と、
江戸時代の茶家の人々が取り込み、家元制度を完成させていったことです。

管理人は以前、この『南方録』を斜め読みしたことがあります。
「かねわり」などの記載に至っては、ものすごい理屈っぽい内容でした。

読むのがしんどくなりました。
煙にまかれたように、クラクラしました。
この「かねわり」の配置が美しいからだとか、
この「かねわり」の配置の意味はこうだとか、
明瞭な説明がないのです。

説明はできませんよね、自然科学的な裏づけがないのですから。

本当に、人を馬鹿にした本でした。

本来のお茶を楽しむためには、
この『南方録』の色合いを極力取り除く必要があるかもと、
管理人は思っています。

しかし、人によっては、『南方録』に記載されたような、
後付言い訳の理屈っぽさこそ、大好きな人もいるでしょうね。

確かに、お茶には、そんな特性もあります。

ものの本で読みましたが、
趣味の中で、お茶ぐらい著作物の多い世界はないそうです。
つまり、
それだけ理屈っぽいことが好きな人が多いい趣味、ともとれますね。。。。