茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 茶道サークルです。

2013年 12月7日のお稽古の記録

音楽は、その長い歴史の中で、モノフォニーからポリフォニー、そしてホモフォニーに至り、やがて調性をなくし、不協和音や不規則リズムなどのテクニックを駆使するようになりました。
このようなテクスチュアの進化を遂げたのは、音楽史の必然です。

つまりこれは、早かれ遅かれ時期がくると、誰かが手を染めて完成させる、別に驚くには値しない歴史の流れです。

利休が『禅宗』を取り込みストイックな世界を作り上げたのも、お茶の歴史の必然です。
利休の孫、宗旦が『乞食』とまで渾名されながら、数寄の極限を目指したのも、お茶の歴史の必然です。
ですから、古田織部が地元の美濃陶工を駆使して『ひょうげた』と呼ばれた造形美(当時のコンテンポラリーアート)で、師匠の利休とは違う自己表現に走ったのも、お茶の歴史の必然。
金森宗和が、雅な色絵陶器を野々村仁清に焼かせて、女性的で華やかな数寄を作り上げたことも、当然なるべくしてなった必然です。
千宗旦
古田織部
金森宗和





さて、小掘遠州(伏見奉行をした人です。京都所司代ではありません。)
という大茶人がいました。
『きれい寂び』と言われる数寄の世界を作り上げた人です。
遠州好みの道具は、実に実に繊細。
利休のような尖った感性の道具ではないですが、なかなか神経質なものを作らせて愛玩しています。
小堀遠州


歴史の必然の話をしていましたね。
遠州は、歴史の必然として、何を数寄の世界に取り込んだと思いますか?
勿体つけないでいいますね。
ずばり、『和歌』です。
実際は、『和歌』は媒介の道具に使われただけで、『有情の余韻』を取り入れたと言ったほうが的確です。

ちょっとニュアンスが違いますが、利休が、『禅宗』を手段として『ストイック』を演出したことに類似しています。

どうですか?
『お茶』と『和歌』。
これは、安直な発想で、どこかで、いつかは、誰かが、やりそうな事でしょ?
まあ、こう言ったことです。歴史って。

さぁ、ボクたちは、どんな数寄の世界を作ればいいのでしょうか?
歴史の必然性を頭に入れておけば、答えは簡単だと思うのですが、ねぇ!


薄茶 y1 k1 k3  s1 h1
濃茶 y2 正客 h1  詰s1



花:利休侘助



薄茶の菓子:東京会館 ケーキ・マカロン





お茶会で、使うお菓子の品評会を兼ねての濃茶の主菓子





柚子餅(柚子外郎

一重(こなし)

冬ごもり(百合根饅頭)

霜柱(村雨そぼろ氷餅)

雪餅(薯蕷きんとん)




さて、どのお菓子が、師走のお茶会に使われることになったでしょうか?