お茶のお稽古のあと、
『香道』の先生に来ていただき、聞香を体験させていただきました。
奥深い、香を聞き入り、優雅な時間がもてました。
『香道』の先生は、とても素敵な方でした。
本当に丁寧に教えてくださり、感謝を越えて、感動しました。
遅くまで、先生、ありがとうございました。
先生に教えていただいたとおり、
ベープマットの器械の上で、香木を温めています。
今再び、昨夜の感動が、よみがえりました。
話は変わります。
生物は、生存競争を繰り返して、進化してきました。
植物も、例外ではありません。
管理人は、床に飾られた、茶花をジーッと見ていると、清楚純情な花の顔(かんばせ)に、
したたかな進化の戦略を感じます。
茶花を、そんな目で見ることは、身も蓋もないことです。
それは百も承知です。
ただ、管理人は、胡散臭く、もっともらしい説法を聞くのが、とてもとても、とても苦手なのです。
花の美しさは、何なのか?
簡単です。被子植物に進化し、虫や鳥を呼び込み、受粉するための戦略。
私に来て、私に寄ってと、虫たちに無言で語っているのです。
美しいはずです。
そして、それが花の美しさなのです。
そのことを、知ってかからなければ、本来の花の意味がボケてしまいます。
くどいですが、花の蠱惑的な美しさは、植物のしたたかさなのです。
そう思って、茶花を見るのも、数寄の一つだと、管理人は信じています。
数寄の世界は、正直、言ったもの勝ちの世界です。
茶をやればやるほど、そう思います。「言いようによったら、確かにねぇ〜」、
の連続の世界なのです。押し暖簾というか、瓢箪なまずと言うか、
まあ、そんなところがあります。
茶花に、深淵な宇宙観や哲学、人生の道理をあて嵌めることは、自由です。
でも、それは事実でしょうか?
真実でしょうか?
管理人は、
床に『時間と空間を描いた』ディラック方程式の掛け軸を飾りたいと、
いつも思っています。
とても、楽しそうです。