茶道男子ブログ

Since 2010.5.15 GAYの茶道サークルです。

2014年 4月 26日のお稽古の記録


シャカを、バカラの小鉢に入れました。

薄茶 y1 s1 k1 k3 n1 k5 s2
濃茶 h1 正客y1 詰s1



菓子は、いずみやの干菓子。
シャンドワゾーの、マシュマロ。

主菓子は、いずみやの「花筏」。

でしたが、今回」は、写真を撮ることを忘れてしまいました。


画像が少ないので、文章で、ちょっとウンチクを。。。。。


管理人は『歴カマ』です。
歴史の中でも、どうでもいい部分が気になってしょうがないタイプの質の悪い『歴カマ』です。
そんな管理人が、『お茶碗』についてカキコミを少しします。
『お茶碗』は、その名前の通り、お茶を飲む器のことを指しています。
現在は、ご飯を盛った器も『お茶碗』と呼びますよね。
人によれば区別して『ご飯茶碗』と呼ぶ人がいますよね。
ただ『お茶碗』は、正確には、ご飯を盛る器のことはさしていません。

さて、磁器や陶器の焼き物で、初めてご飯を食べたのは誰かと言いますと、
ハッキリ記録が残っているようで、徳川10代将軍家治だそうです。
当時、磁器や陶器は、茶道で使うような高級品であったので、一般には出回っていませんでした。
そう言えば、「鍋島」に代表される焼物は、高級な贈答品でした。

では、ご飯は何に盛っていたのでしょうか?
ハッキリ分かっています。
貴族だろうが、武士だろうが、農民だろうが、例外なく、
木で出来た、『飯椀メシワン』に盛っていました。
(ワンの字が石偏と木偏と使い分けられているのに注目です)

当時の台所は、現代の磁気・陶器ばかりが並ぶ台所と違って、
木の器、つまり『椀』だらけであったのです。
死ぬまで、陶磁器に触れたことのない人も、沢山いたのです。
本当です。

さて、この『お椀』ですが、漆で塗布した漆器であったか?




時代は、戦国時代末期の食卓としましょう。
漆で塗布した漆器であったか?

当然、戦国末期に漆器の『お椀』は使われました。
使えわれたのは、寺院や富裕層、一部特権階級の人達の食卓です。

そして、漆は厚く塗ったものほど高級とされていました。
しかし、庶民のほとんどは、漆が塗布していない、
木をくりぬいた生地のままの『お椀』を使っていました。





水分が染み込まないように柿の渋なども塗っていたようです。
どうですか?
イメージと違いませんか。


では先入観払拭の話題をもう一つ。

では、ここでもの凄く位の高い人々の『お椀』はどうであったか?
例えば、秀吉の『お椀』とかはどうであったか?
きっと、生地の『お椀』(木具と呼ばれます)であったはずです。
漆器の『お椀』は、何度でも洗って、使いまわすことができる下等な食器でした。

高位の人々に、そんな使いまわしの『お椀』は使っていなかったのです。

つまり、使い捨ての、贅沢な木具を使っていたのです。
(神前の神饌をいれる器のイメージです。)




使い捨ての贅沢な木具の器は、江戸時代の度重なる倹約令で消滅します。
徐々にです。
ですから、江戸時代初期まで、ほとんどの貴人は、
漆なんか塗っていない生地の使い捨ての『お椀』を使っていたのです。

加賀前田の何代目かのお殿様は、木具の器から、漆器の器に変わったとき、
ひどく気持ち悪がったという文章を、昔読んだことがあります。

あの大名膳の豪華絢爛な蒔絵は、倹約が生んだ贅沢品であったのです。




管理人は、秀吉が、茶の献立(当時、茶懐石と言う言葉はありません)で、
どのような器を使っていたか、非常に興味があるのです。
こんな、どうでもいいことに拘る、管理人は、質の悪い『歴カマ』です